近年、岡崎体育先生がミュージシャンのMV・PVあるあるを、メタ目線で面白おかしく揶揄して切り取っておられる楽曲が話題になりました。

 

流石の秀逸さなのですが、個人的には1番突っ込みどころのある要素が抜けていて。

 

それがタイトルに書いたことなんですけど、MV・PVによっては、「曲前に主に寸劇を入れることで曲をすぐに始めない」っていうのがけっこうありますよね?

 

あれが長年、マジで意味分かんないんですよ。

酷い場合はその部分が無音だったりするわけですが、なぜに曲の前のダラダラとミニドラマを入れる必要があるのか。

 

作り手から返ってくる答えはおそらく、「MUSIC VIDEO」でも触れられているように、

「音楽を映像や演出を含めての総合芸術と捉えているから」ですよね?

 

いや、でもそれならね、「あくまで曲の中だけでそれを表現したらいいやん?」と思うわけですよ。

正確には「曲の中だけで表現すべきやん」ですね。

 

だって、「曲をすぐに始めない」っていうのはMV・PVの存在理由とそもそも矛盾してるでしょ?

 

MV・PVはその言葉の通り、あくまでも楽曲のプロモーションが1番の目的であって、

出演している俳優や映像の巧さをアピールすることが大事なわけではないですよね?

 

映像の持つ力を否定したいわけでは全くありません。優れたPVによって、曲の持っているポテンシャルを何倍にも増幅させている例はたくさんありますし。

 

良いか悪いかは別にして、ユーザーが次々に動画をザッピングしていって、好みのものを見つけるっていう時代の流れになっているのに、

余計なものがアタマにくっついていて、いつ本題が始まるのかすら分からないものなんて、

スルーされる可能性をわざわざ高めにいってるようなもんじゃないのでしょうか?

 

コンテンツを仕掛ける側から考えても、せっかくリーチ出来たユーザーに対して、最初にアピールするべきことだとはどうしても思えません。

というか時代の流れに関わらず、最初の数秒で掴めるかどうかというのは本当に大事な勝負なんじゃないのでしょうか?

だからこそ漫才師は掴みを、落語家はまくらを、音楽家はイントロやリフを研究しまくるわけではなくて?

 

なんなら、これだけ多種多様な娯楽が溢れる時代に生きる、‘多忙な’現代人がターゲットであるからこそ、

「最初の数秒の重要性」は以前より高まっているはずだと思いますけどね。

 

そういう風に言うと、

「別に商売が最優先じゃないから」

「それも表現したいことの1つだから」

っていう反論がありそうです。

 

そういう考え自体は理解出来なくはないのですが、ミュージシャンにとって、リスナーに曲を聴いてもらうこと以上に価値のある要素なんてあるんですかね?

まぁ、既存のファンに自分たちの世界観を強調するっていうのが、数少ないメリットとしてありそうですけど、それでもやっぱり腑に落ちないです。

 

別にこれは喧嘩を売っているわけではなく(?)、単純にずっと疑問に思っていることで、

むしろ、「あぁなるほど、そういうことね!」と思いたいので、反論・誹謗中傷・提議などなどお待ちしております!

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