90年代に絶大な人気を持ち「ダウンタウンの再来」とまで言われたお笑いコンビ・フォークダンスDE成子坂。

1999年に惜しまれながらも解散しましたが、なぜその決断を下すに至ったのか、真相は長らく不明のままでした。

 

ところが、2016年末より、ボケ担当の桶田敬太郎さんがポッドキャスト上で

解散に至った経緯を話す番組をスタートさせ、お笑いファンや芸人たちの注目を集めました。

 

「実力刃を観た感想」も書きました。

 

そして、実際に全部聴いてみた結果、「確かにこれは全てをイチから聴かないと細かいニュアンスが分からないな」と思いました。

 

それゆえ、本当は解散に至った経緯を端折って書くべきではないのですが、かと言ってその番組をイチから全て聴きなおすのは膨大な時間がかかってしまうということで、

なるべく誤解を生まないよう、流れをまとめてみました。

 

村田渚との出会い

 

小学校時代に出会い、中学の時に仲良くなる。

 

自分が「面白い」と思う言動・話・妄想に対し、渚だけは自分が欲しいドンピシャのリアクションやツッコミをくれた。

そこからは、渚を笑わせる快感に目覚める。

 

ちなみに、渚はある程度お笑い番組などを観ていたものの、桶田はほとんど興味を持っておらず、当時流行っていた番組や芸人についてもほとんど知らない。

 

この出自はコンビ結成後にも影響を与えていて、桶田は基本的に自分たちの笑い以外に一切興味が無い。

だからこそ、良い意味でセオリーから外れたものを作れたし、それゆえ「ダウンタウンの再来」と言われることは理解は出来るものの、

彼らの笑いを熱心に観ていたわけでもないので、そういう風に言われることに対してもあまり関心が無かった。

 

高校3年の夏に、「若手の無名芸人たちのドキュメント番組」を観た際、「これなら俺たちの方がよっぽど面白い」と思い、コンビを結成。

 

ただし、上京するまでの間に、渚発信で2度解散をしていて、おそらくこのことも最終的な決断に多少影響している。

 

結成初期

 

ネタの斬新さ・クオリティーが評価され、「GAHAHAキング」をはじめとするコンテスト形式のお笑い番組でも躍進。テレビでの露出も増える。

 

ただ、桶田は結成当初から首尾一貫してお笑いの活動に対して、「渚と生み出す笑いで天下を取ること」にしか価値を置いていなかった。

 

この点において、桶田と渚の間にはスタート時点からおそらく価値観に多少差があった。

ただ、解散に至るまで、そういう根本的な部分での意思疎通は「互いを信頼しているから」という理由でほとんどなされなかった。

 

活動中期

 

渚との関係性は良好だったものの、ホリプロという事務所がお笑い芸人を売り出すノウハウを持っていなかったことで、

コンビとしてやりたいこと・やるべきことから離れた仕事も増え、特に桶田の中にはフラストレーションが溜まっていく。

 

人によっては、「それくらいは我慢しろよ」「気にしなければいいじゃん」と思う話でもあるが、

前述の通り、桶田がお笑いの世界に入った目的はあくまでも「渚との間に生まれるケミストリーを表現するため」であったし、何よりも、自分たちが非常に若い時期に挫折もなくトントン拍子にいってしまったことは

良くも悪くもコンビの命運に大きな影響を与えたと考えている。

 

ちなみに、そういったマイナスの出来事が起こった場合でも、桶田は渚に相談することは一切無かった。

これは2人の仲に問題があったわけではなく、先述の2人の特殊な関係性に起因していた。

ただ、相変わらず芸人活動は好調。(というか解散するまでの間にそういう意味での停滞期は無いに等しい。)

 

活動晩年

 

当時一世を風靡していた「ボキャブラ天国」の番組内容がお粗末で、かつキャラ先行だったため

お笑いに対しての桶田のモチベーションが下がり、新たに音楽をやるために解散したという見方が一般的だが、それは少し違う。

 

確かに、ボキャブラ天国でやっている笑いは自分たちがやりたいものではなかったが、そのフォーマットの中でも自分たちの色を出来る限り出すことは可能だったし、

「多くの芸人をパッケージして提供する」タイプの番組の先駆けであったこともあり、個人的に好きではなかったが、一定の評価はしている。

 

ただし、「ボキャブラ天国」に関して、解散に繋がる大きな失望があったのは間違いない。

それは序列に関して。

当時自分たちは他の同期、先輩・後輩の多くと比べ、圧倒的に実績を積んできたという自負があった。

実際、「西のナイナイ・東の成子坂」と言われていたくらいで、よそのコンビのことは基本的に一切眼中にない桶田であっても、意気には感じていた。

 

しかし、「天下を取る」ということが現実味を帯び、これからの策を練っていこうという段階で、

「ボキャブラ天国」で、事務所の采配ミスから全く実績の無い人たちと横一列に並ばされてしまった。

これにより、特に桶田のモチベーションが一気に低下。

 

ただ、この時点では「完全にやる気を失った」というところには至っておらず、「天下を取る」ということに対する自信・気持ちは変わらなかった。

そういう意味で彼らにとってよりダメージが大きかったのは、

実は「ボキャブラ天国」ではなく、テレビ東京系列の「シブヤ系うらりんご」だった。

 

この番組のプロデューサーの意向により、渚が「しゃくれ・チビ」などという風に、いわゆる「汚れ」的なイジリ方をされてしまうようになった。

エキセントリックな自分のボケを、渚と共に成子坂の笑いとして提示した上で天下を狙うにあたって、渚がそういうパッケージングをされてしまうことは致命傷であり、

このあたりで初めて「解散」の文字が自分の中に浮かんできたと桶田は語っている。

そして桶田は、自分達を売り出すビジョンを全く持たずに、節操なく仕事を入れる事務所に対し、

自分たちの笑いを表現出来る仕事を選別して欲しいという旨を伝える。

しかしこれがまたしても裏目に出てしまい、事務所の真意は計りかねるものの、

ほぼ全てのレギュラー番組を降板させられることになった。

 

この時点で、かなり諦めの境地にいたが、自分達の笑いに対する自信は変わらず揺るがなかった。

そこで、解散の選択肢を一度脇に置き、自分たちの活動を一度きちんとまとめておくために

1年で「2ヶ月に1回×5回」という、狂気の単独ライブ「自縛を開催することに。

 

ちなみにこの「自縛」には、それまでただただ消費されていくだけだったお笑いのネタを、コンテンツ化する狙いもあった。

「自縛」のVHS(ビデオ)はTSUTAYAとの提携を図り、

日本で初めてのお笑い作品のレンタル化を目指し、のちに実現させた作品でもあった

 

しかし、そういった経緯の中、意欲を持って取り組んだ「自縛」の最中、

プロジェクトの内容や彼らの意図をしっかり共有出来ていたマネージャーが突如交代になってしまった。

 

それまでにも、事務所の采配に大いに疑問を持っていた桶田は、自分達の未来を完全に悲観してしまう。

また、「自縛」をやっている中で、自分達の笑いが、世の中の需要から外れていっている感覚もあった。

 

ボロボロになり、落ち目になったと言われるような状態になってしまうとしたら、

それはプライドの高い桶田が1番望まなかったことであり、

自分達のやってきたことを美しい状態のままで一旦完結させたいという思いから、渚に解散を告げた。

 

解散に至る経緯は他にも細かな要素がかなり色々絡み合っているのですが、超絶長くなってしまうのでこれくらいにしておきます。

ポッドキャストではさらに細かな機微がばっちり語られているので、是非そちらも聴いてみて欲しいです。

第95回あたりから聴いてもらえればと思います。

 

まとめ

 

読んでくれた方の中には「考え方が幼すぎるのでは?」「根性が無かっただけでは?」という感じに思う方もいるかもしれません。

まぁそれもあながち間違ってはいないんですけど、記事中にも書いているように、成子坂は極めて若い段階で成功しています。

 

知名度が全国区になったのが22~23歳頃、解散がよぎったあたりでもまだ25歳くらい。

おそらくこれはお笑いの歴史的に見ても、年齢的に相当早い段階での出世であり、当時の彼らの視野がやや狭かったのも仕方なかったと個人的には思います。

「その年齢で彼らと同じような立場だったら、適切な舵取りが出来ていたか?」と自問した時に、自信をもって「YES!」とは言い切れません。少なくとも僕は。

 

そのあたりのジャッジも含め、聴かないと分からないニュアンスは多々あるので、

興味が湧いた方・当時ファンだった方は、ポッドキャストを聴いてみてください。

 

ポッドキャストに関する感想はこっちに書いてますので、良かったらそちらもどうぞ!

 

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